OBOG
インタビュー
現メンバーとOBOGで連絡を取り合いながら、
より良い支援を目指して活動しています。
学生メンバーで将来国際協力の道に進みたい場合、
いつでもOBOGがアドバイスできる文化があります。
創設者
倉田 拓人
FESTを立ち上げたきっかけ
小学生時代から社会貢献に関心を持ち、様々なボランティア活動に関わってきた中で、自分はどんな人を幸せにすることができるのかと日々考えていました。大学生になり国際協力を行うNGO/NPOに在籍して実際に活動する中で、「本当に相手のためになること」「本当に相手が求めていること」をしたいと強く考えるようになりました。他団体で内部から変革を行うよりも、自分の志に集まってくれる仲間を集めて立ち上がることが必要と考え、実行に移すことにしました。
FESTを設立した想い
2010年の設立当時には、学生が運営主体となっているNGOや学生団体のほとんどが現地での交流事業や国内での街頭募金、物的な支援を行っていました。しかし残念なことに、メンバーの不足や資金の枯渇などで団体が存続できず、その結果支援が中止されることも少なくありませんでした。また、現地に赴いた際、学生が主観的に現地に必要な支援を決め、実行してしまうことによって本当に必要とされている支援とは異なることをしてしまい、逆に悪影響を及ぼしてしまう事例も散見されました。そのような中で、FESTは当初から支援事業を現地の方々と共同運営することや、運営権の移譲を念頭に置き、ニーズが完全に掴めるまで調査を徹底的に行うことを団体の根幹に置き、設立する決意をしました。
FESTを設立したことによって起こったインパクト
たった1人から設立を始めたため、当初はなかなかメンバーが集まらなかったり、安定して活動を行うことができませんでした。しかし、安易に人が集まるような、ただ楽しそうな活動に軸を移すことなく、あくまでも支援先の方々が本当に求めていることだけをするという意志はどんな時でも曲げずに語り続けました。幸い3ヶ月ほどでメンバーが30人ほど集まり、初回の渡航では支援を一切行わず調査のみに充て、1年後には80人近くのメンバーが集まる大きな組織に変わっていきました。本気で国際協力に取り組みたい学生にFESTが主体的に選ばれる場になり、その考え方はFEST-HIROSHIMAなど地方の学生を巻き込んだだけではなく、2012年にはFESTとしてIMF・世界銀行総会にも出席させて頂きました。これからも常に甘んじることなく、本当に相手のためになることを当たり前のように行っていくメンバーが、多彩なインパクトを生み続けることを願い、私自身も行動し続けたいと考えています。
卒業後の活動
大学卒業後は一度日本国内で就職したものの、FESTの支援地域でまだまだ勉強しなければならないことがあると考え、会社を辞めてセブ島に移住しました。現地採用として東南アジアベースの給与で働くことによって活動地域の本当の文化を日々肌で感じながら、FESTの支援活動が本当に正しいのか、価値があるものかを考え続けました。そして毎年2回渡航してくる後輩の受け入れを行いプロジェクトの実行計画を現地の視点から考察してアドバイスする中でNGOの活動の本質は、人の可能性を増やし、希望ある未来の扉を一緒に開くことができるようにすることだと再認識させらる日々を送りました。現在はトルコに移住し、中東問題・シリア難民の方々に対してのアクションを実行中ですが、これからも絶え間なく、自分の人生が誰かのためになることを願って活動を続けていきます。
これから入ってくるメンバーへのメッセージ
例えば隣の席に座っている人が机から消しゴムを落としてしまって、それが自分の足元に転がってきたとしましょう。そんな時、自分の手止めてすぐに人の為に動けるでしょうか。友達が大切なものをなくしてしまい、一生懸命探している時に自分も夢中になってその人のために行動できるでしょうか。国際協力は国境を超えて大きな問題に取り組む事業である一方で、その本質はごく一般的な日常生活の延長であると私は考えています。自分たちだけでは世界の全ての問題は解決できないかもしれませんが、逆に自分たちができることはないかと考えれば、きっとそれは数え切れないほど見つかると思います。国際協力は人を助けることだけではなく、人の将来の可能性を増やし、その未来を応援する活動です。偉いことでも何でもありません。困っている人がいたら、その人を助ける。そのために一生懸命考えて、一緒に泣いたり笑ったりする。どんなときも、当然のことを当然のように行える人間の集団であって欲しいと願っています。
1期 事業局長
半澤 節
FEST引退後の経験
FEST引退後、社会人になってからは“社会問題をビジネスで解決する”ボーダレス・ジャパンに入社。ミャンマーの貧困農家の所得向上を目指したハーブティー事業を日本・韓国で経験、その後日本でアパレルブランドの立ち上げに関わったのち、現在トルコでシリア難民に雇用とコミュニティーを作る事業を立ち上げ中。
FESTでの役割
FESTでは第1期時代、事業局長を任命され活動。
*大学のゼミ活動等でなかなか参加が難しく目立った役割を果たせず。
FESTでの学び
立ち上げ初年度よりさせてもらったFEST。もともと惹かれた理由は「現地の自立」を目指すという点。「現地目線に立ち、一方的でないこと」が活動の節々に現れていたように感じます。海外・国内事業問わずどの活動でも「なんとなく」ではなく見聞きした情報をしっかり言語化・視覚化して活動していく点は、特によく陥ってしまいがちな感覚論や感情論・一方的な思い込みによる支援の押し付けから自分を一定距離遠ざけ、現地の方の考えを尊重した支援のあり方に近づけてくれたように感じます。またその中で、「無理・、難しい」から「どうやったらできるか」というポジティブな思考に自然と切り替わっていけたのも大きな学びです。FESTでの活動を通し、一方的でなく現地目線であるということは、「何かを与える」ということよりも、もともと現地の人たちの持っているもの(才能や可能性)を広げていくこと、つまり、支援というよりは対等な立場での協業なのだな学びました。
現在への繋がり
現在、私は社会的課題にビジネスを通して挑んでいます。その中で大事にしているFESTでも掲げられていた「現地との対等な関係性」「その人の可能性を増やす」という点。
学生時代、FESTでの活動も通し全ての人が夢や希望を抱けて、またその夢(希望)に向かって頑張ることのできる社会を実現したいという思いが強くなりました。
現在はトルコにて、シリア内戦によって難民状態となり命からがらトルコに逃れられた方とトルコで近年社会問題にもなっている失業中の方、その両者が自らの人生に笑顔と希望を持って前向きに生きて行くことのできるような職場を作ろうと奔走しています。実は一緒に事業を作ってくれているのがFEST創業者の倉田拓人。同じ思いをもつ大切な友人たちにFESTで出会えたことも本当に大きな財産です。FESTで学び、経験した活動・思いを今度は事業作りという点で社会に大きなインパクトをうめるよう取り組んでいます。
1期 海外事業部長
向井 信郎
FEST引退後の経験
FEST引退後は、新卒で青年海外協力隊に入り、2年間アフリカのザンビア共和国の農業畜産省(日本の農林水産省)に派遣され農業普及に携わりました。帰国後は、東京の投資ファンド会社に就職し投資の世界を経験しました。その後は結婚を機に地元である石垣島に戻り、現在は小さな貿易会社に勤め、中国や台湾とのやり取りを日々行っております。
FESTでの役割
FESTでは創設から携わり最初の海外事業の立ち上げを担当しました。
FESTでの学び
FESTでの学びは一言で語りつくせない多くの物がありますが、一番は仲間と共に力を合わせてフィリピンという海外でプロジェクトを行ったことだと思います。事業立ち上げ時は、右も左もわからないフィリピンで事業を行うにあたり、国内で収集できる情報を集め日々メンバーとミーティングを行い、そして現地ではNGOの方やセブ在住の日本人の方々、そして地域の方々にも支えられながらやっとでスタートさせたと記憶しております。フィリピンという土地柄、体調不良などの軽微なトラブルからメンバーが乗り継ぎできず到着できない・事件事故に巻き込まれそうになるなど様々なトラブルがあって、そんな時みんなで力を合わせて解決し・助け合った経験は、本当に貴重な経験であり学びであったとい思います。
現在への繋がり
改めて振り返り、現在まで海外と関わることが多くあったと感じております。新卒で青年海外協力隊に参加したり、その後投資ファンドで海外投資家を担当させてもらったり、現在の貿易会社での仕事も学生時代でFESTを通じて海外で様々な経験をしたことがが大きく影響していると思います。今後も海外とのかかわりが多くある人生を歩んでいく気がしますが、やっぱりその原点はFESTでの経験だと思っております。
2期 海外事業部員
小林 愛鐘
FEST引退後の経験
大学を卒業後、西アフリカのガーナで青年海外協力隊員として活動をしていました。現地では地方の町役場に所属し、ゴミ問題の解決・雇用の創出を目指して、プラスチックの回収事業(プラスチックをリサイクル会社に販売、利益を住民に還元する)立ち上げや、若者グループと共にゴミ(飲料水の袋や米袋など)を使ったハンドメイド商品作りをしていました。
FESTでの役割
海外事業部員として教育プロジェクト立ち上げに関わり、コミュニティ内で「子どもたちが学ぶことのできる場」作りに奔走していました。
FESTでの学び
「国境を超え、人々と一緒に0から何かを作っていく楽しさ」を知ったのが、私にとってFESTでの大きな学びでした。そしてさらにそれによって自分の関わった人の人生がちょっと良くなる、社会がちょっと良い方向に変わるのを、実際に自分の目で見ることのできる喜びは何にも代えがたいもので、今でも私の大切な軸になっています。
プロジェクトを進めていく上で、何度も壁にぶち当たり、またメンバーや現地の協力者と意見がぶつかり、あれほど頭が痛くなるほど頭を使ったのは初めてのことでした。
でもその分、子どもたちが集まって楽しそうに教科書を開いて勉強しているのを見た時や、短期プロジェクトとして実施した家計簿プロジェクトによって、お金を貯めて携帯電話を買うことができたというお母さんの話を聞いた時には、涙が出るほど嬉しかったです。あの時の気持ちは今でも忘れられません。
とことん現地のニーズや課題に向き合い、それをベースに活動をしているFESTだからこそできたことで、他団体ではなかなか得ることのできなかった経験なのではないかと感じています。
現在への繋がり
協力隊員としてガーナに派遣されましたが、いざ現地に行っても職場から明確な仕事の指示はありませんでした。しかしFESTの活動を通して、「0から何かを作っていく」楽しさや醍醐味を知っていたので、むしろその状況を楽しんで課題やニーズの発掘から取り組むことができました。企画やプロジェクトの立ち上げの際にどのように考え、どのように周りに働きかけるかということは、FESTで何度も経験させていただいたことでした。様々なアクターを巻き込んでプロジェクトを作り上げていく大切さもFESTで実感してきたことなので、とことん取り組むことができました。フィリピンでやっていたように、とにかく歩き回り人と話し、繋がりを大切に動き続けました。何よりFESTの中で活動していた時にいつも感じていた「わくわく感」、そしてフィリピンの人々と一緒にプロジェクトを形にしていく時に感じていた「喜び」は、今でも私の大きなモチベーションであり続けています。
3期 海外事業部長
砂塚 翔太
FEST引退後の経験
FEST引退後は、文部科学省のプログラム『トビタテ!留学Japan』で世界中の社会起業家があつまるフィリピンの国際NGO Gawad Kalinga内のPALETTEというNGOで一年間インターンをしました。
帰国後はNGOコンサルティングファームで1年間の研修を受けた後、フィリピンの貧困問題に取り組むことを決意して、インターンをしていたNGOに所属して現在も活動しています。
FESTでの役割
FESTでは、海外事業部長を務めました。仲間たちと一緒にゼロから新しい支援地を開拓してマイクロファイナンスとインフラ支援を組み合わせたプロジェクトを立ち上げました。
FESTでの学び
FESTでの最大の学びは、答えのない問いに向き合い続けることの大切さです。FESTの掲げる「最良の国際協力」には、おそらく正しい答えはありません。自分たちの支援が本当に現地の人たちのためになっているのか?自分たちは彼らの支援者なのか、友人なのか?自分たちのなぜこのプロジェクトをやっているのか?どの問いにも絶対に正解という答えはありません。答えが分からない中でもそうした問いに向き合い続けて、議論して、何かを形にする力はFESTの活動の中で手に入れたもので、NGO職員として働く現在の自分の核にもなっていると思います。
もう一つは、チームで動くことの楽しさです。FESTでは、「右手で握手して、左手で殴り合う」と呼んでいたのですが、強い信頼関係のうえで本気で意見をぶつけ合ってお互いを理解することがこんなに楽しいことなんだと気付きました。
現在への繋がり
今働いているNGOは、マニラ首都圏のスラムから強制立退を受けた若者に対して就労訓練と就労機会を提供する活動をしています。僕が今の活動をしているのは、FESTに所属していたときにセブのスラムの強制立退の問題に取り組んだことがきっかけです。人権を無視して行われる強制立退をなんとかしたいと考え、動き続けてたどり着いたのが今の活動です。
また、今自分が主導して現地の研究機関やNGOと協働して行っているライフスキル(問題解決能力や自己効力感、コミュニケーション能力など)トレーニングという事業もFESTの経験から影響を受けたものです。現地主導の支援活動を行っていく中で「彼らには何ができて、何ができないのか?自分たちはどんなサポートをするべきなのか?」をずっと考えていました。この「何ができて何ができないのか」を科学的に分析して、できることを増やすアプローチが今取り組んでいるライフスキルトレーニングです。
FESTを引退してから様々なご縁で今の自分があるのですが、FESTでの経験が今の活動の大きな原体験であることは間違いありません。
3期 海外事業部長
砂塚 翔太
FEST引退後の経験
FEST引退後は、文部科学省のプログラム『トビタテ!留学Japan』で世界中の社会起業家があつまるフィリピンの国際NGO Gawad Kalinga内のPALETTEというNGOで一年間インターンをしました。
帰国後はNGOコンサルティングファームで1年間の研修を受けた後、フィリピンの貧困問題に取り組むことを決意して、インターンをしていたNGOに所属して現在も活動しています。
FESTでの役割
FESTでは、海外事業部長を務めました。仲間たちと一緒にゼロから新しい支援地を開拓してマイクロファイナンスとインフラ支援を組み合わせたプロジェクトを立ち上げました。
FESTでの学び
FESTでの最大の学びは、答えのない問いに向き合い続けることの大切さです。FESTの掲げる「最良の国際協力」には、おそらく正しい答えはありません。自分たちの支援が本当に現地の人たちのためになっているのか?自分たちは彼らの支援者なのか、友人なのか?自分たちのなぜこのプロジェクトをやっているのか?どの問いにも絶対に正解という答えはありません。答えが分からない中でもそうした問いに向き合い続けて、議論して、何かを形にする力はFESTの活動の中で手に入れたもので、NGO職員として働く現在の自分の核にもなっていると思います。
もう一つは、チームで動くことの楽しさです。FESTでは、「右手で握手して、左手で殴り合う」と呼んでいたのですが、強い信頼関係のうえで本気で意見をぶつけ合ってお互いを理解することがこんなに楽しいことなんだと気付きました。
現在への繋がり
今働いているNGOは、マニラ首都圏のスラムから強制立退を受けた若者に対して就労訓練と就労機会を提供する活動をしています。僕が今の活動をしているのは、FESTに所属していたときにセブのスラムの強制立退の問題に取り組んだことがきっかけです。人権を無視して行われる強制立退をなんとかしたいと考え、動き続けてたどり着いたのが今の活動です。
また、今自分が主導して現地の研究機関やNGOと協働して行っているライフスキル(問題解決能力や自己効力感、コミュニケーション能力など)トレーニングという事業もFESTの経験から影響を受けたものです。現地主導の支援活動を行っていく中で「彼らには何ができて、何ができないのか?自分たちはどんなサポートをするべきなのか?」をずっと考えていました。この「何ができて何ができないのか」を科学的に分析して、できることを増やすアプローチが今取り組んでいるライフスキルトレーニングです。
FESTを引退してから様々なご縁で今の自分があるのですが、FESTでの経験が今の活動の大きな原体験であることは間違いありません。
5期 海外事業部長
木村 茉莉
FEST引退後の経験
引退後、大学時代はアメリカでの留学、インターンののち国連の専門機関である国連食糧農業機関(通称 FAO)のフィリピン事務所で国連ボランテイアとして半年間働いていました。当時のFAOでの仕事は主にイベント運営やソーシャルメディアを活用した情報発信などです。卒業後の現在は発電事業を中心とした日本国内外のインフラに関わる仕事をしています。
FESTでの役割
1年次から海外事業部に所属し、プロジェクトリーダーとしてピナハボンで水道建設プロジェクトに関わっていました。3年次には海外事業部長も務めさせていただきました。
FESTでの学び
FESTで一番学んだことは自分の未熟さ、無力さと私は1人ではなにもできないということです。
先に述べていたように私はピナハボンという支援地での水道建設に1年次から引退まで関わり続けてきました。
その中で、水道の建設が思うように進まなかったり、お金が集まらなかったり、現地住民間でのトラブルに巻き込まれたりと常に困難の連続でした。正直、FESTに入るまでは自分でも現地のために何か出来ると思っていた部分もありましたが、入ってから自分が本当に無力で、情けなく、1人では何もできないという事を痛感しました。
恥ずかしながら、当時を振り返ると何もできない自分が辛く、何度も辞めるかどうか悩んでいたような気がしますが、いつも支えになっていたのは一緒に活動していたメンバーへの思いと、大好きだった現地の人々への思いでした。1人ではなにもできないけれど、メンバーや現地の人と対等な関係で課題解決に取り組むことで何かが生まれるのは学生国際協力の面白さであり、醍醐味であると学びました。
現在への繋がり
FESTの経験は引退後から現在における私の選択の大きな軸となっています。私は以前から国際協力分野、特に国連で働きたいという夢があり、FESTに入会した理由も現場での経験を積みたいと考えたためでした。そして、私はFESTの活動を通し、国際協力の難しさを感じ、もっと自分を高めていく必要がある、スキルを身につける必要があると考えるようになりました。この活動から感じた思いは引退後のアメリカでの国際開発学の勉強やインターン、FAOでの国連ボランティア、現在の発電を中心としたインフラ分野での仕事へとつながっています。
現在、私は国連で働くことを引き続き目指し、ビジネスの面からインフラ分野に関わり経験を積んでいます。インフラ分野に関わりたいと決めた理由もFESTでの水道建設の経験から人の生活の根本に関わる仕事がしたいと思ったためです。このようにFESTの経験は様々な側面から現在の自分に影響を与えています。